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大阪地方裁判所 昭和52年(わ)2230号 判決

被告人 成田安美

昭一一・一・二八生 元船員

主文

被告人を懲役六年に処する。

但し右刑の執行を懲役二年六月に減軽する。

未決勾留日数中二五〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は二〇才ころから船員となり、昭和四八年ころ大阪市西区本田町二丁目一八番地の一六に所在する岡田海運株式会社に入社して、同四九年七月ころから大阪を船籍港とする汽船「ぜんまあ号」(総トン数三五二七・七四トン、所有者前記会社他一名)に甲板手として乗船していたものであるが、同四九年一一月一九日午前二時(現地時間同月一八日午後一〇時三〇分)ころインド共和国カルカツタ港ナタージイサバシユふ頭シー岸壁に停泊中の同船の自室において同僚の里信也(当時二二歳)と飲酒していたところ、同人から同夜同人の下に来ていた売春婦に支払うべき一〇〇ルビーの金員の借用方を申し込まれたが、被告人も手持ちが無かつたためこれを断り、当直勤務の時間もせまつていたので勤務につくべく、同人と共に自室を出、同人と別れて上甲板に上り、同日午前三時二〇分(現地時間同月一八日午後一一時五〇分)ころ同所にある賄室で水を飲んでいたところ、被告人を追つて来た里が、更に執拗に金借方を申し出て、被告人が明日船長に借りてはどうかと勧めると今すぐ金がいるから被告人が行つて船長に借りてくれ等と無理をいいこれを断ると、同人は「お前はバルブの操作もポンプの操作も出来ないじやないか、俺がみなカバーしてやつているじやないか」と罵しるに至つたので、被告人は外来船の乗船経験が浅く、船の操作に不馴れな点があり同人に手伝つてもらつたことはあつたものの、年も上で、船員としての経験も深く、序列も上であるのにはるか年下の同人に無能よばわりされて腹を立てたが、勤務につかねばならぬので我慢して勤務に行くからのけと言つて前に立つている同人を手で払いのけようとしたところその手が同人の身体に当るや、同人は「喧嘩を売るのか、何時でも買うぞ」と言つて被告人のえり首付近をつかみ殴りかかろうとしたためついに我慢しきれず、激昂の余り矢庭に右賄室の調理台の上にあつた刃渡り約一四・五センチメートルの出刃包丁をとりあげ、同人が死亡するかも知れぬがそれもやむをえないと決意して、右包丁で賄室から科員食堂に通じる入口付近に立つている同人の腹部めがけて突き刺したところ、同人が後へ身をひいて手でこれを払つたので手元がくるい、同人の左大腿部を突き刺し、よつて同日午前五時五五分(現地時間同月一九日午前二時二五分)ころ、カルカツタ二七、アポリアロード八―五ウツドランドナーシングホームにおいて、同人を右刺創に基づく左大腿動脈損傷によるシヨツク及び失血により死亡させて殺害したものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一九九条に該当するので、所定刑中有期懲役刑を選択し、所定刑期の範囲で処断すべきところ、本件犯行は、自分より二〇歳も年下で、しかも酒に酔つた上での被害者の言動に激昂して兇器を用いてこれを突き刺し、あたら若い一命を奪つてしまつたものであつて、被告人の刑責は重大であるけれども、一方被告人が本件を犯すに至つた動機は既に認定したように被害者が被告人に執拗に金借を申込み、さらには船長からの借金を依頼し、これを断わられるや、被告人を侮辱しその感情を傷つけるような悪態をついたうえ、被告人の手が当つたとはいえ挑戦的な言辞を弄して先に手を出したためであり被害者にも非があることや、犯行後被害者を医者に運ぶについて、言葉や事情の分らぬ外国であるため予想外に手間どつたことなどが不幸な結果をもたらす一因となつた節も窺えることなど被告人に同情すべき点もあることその他諸般の事情を勘案して、所定刑期の範囲内で被告人を懲役六年に処することとし、なおアリポア第一一四季裁判所判決写、アリポア中央刑務所の服役証明書等によると被告人は本件公訴事実と同一の事実について、インド共和国アリポア第一一四季裁判所において一九七五年一二月一二日インド刑法三二六条による重篤傷害罪として重禁錮三年の判決をうけ、現地で刑の執行をうけ、刑期を五月二〇日軽減されて一九七七年五月二八日刑を終了して出獄したことが認められるところ、右のように、被告人は本件について既にインドにおいて処罰を受けてはいるが、それは殺人罪としてではなく、より軽い重篤傷害罪としての刑責を問われたにすぎないのであるし、被告人に科すべき至当な刑は右のとおりインドの判決のそれよりはるかに重いものであるから、インドでの服役の故をもつて本判決による刑の執行を免除することは到底できないが、しかし重禁錮というは労働を伴うもので我が国の懲役に類するものであり、言語、生活様式、習慣、風土、気候等の全く異なる遠隔のインドにおいて、言葉も十分通じないままの二年六月余の服役は、被告人にとつて日本での受刑に比しはるかに苦痛なものであつたろうことは十分推測されるうえ、前示刑期の減軽も献血など被告人の善行によるものであることなどを考慮して刑法五条但書によつて、前記本刑のうち三年六月を差し引いて執行すべき刑を二年六月に減軽することとし、同法二一条によつて未決勾留日数中二五〇日を右刑に算入し、訴訟費用は刑事訴訟法一八条一項但書により被告人に負担させないこととして主文のとおり判決する。

(裁判官 村上幸太郎 笹本淳子 小西秀宣)

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